芸術と民芸
日本・沖縄から
世界へ
宮城光男
現在シーサーアーティストとして活動中。
現代アートから古典手法まで様々な刺激を受け現在のスタイルに。その独自性と日本・沖縄文化を凝縮したアート性の高さを評価され海外での個展活動や有名企業とのコラボレーションも少なくない。異色のシーサー美術館を運営。
シーサーのルーツは中国から風水として琉球に伝わり、魔除け・福を呼ぶ縁起物として古くから沖縄で親しまれている。
漆喰とは、沖縄のサンゴから取れる石灰と藁・泥を混ぜて発酵させ、家の屋根の赤瓦を接着させるものである。漆喰を使って作られた漆喰シーサーは、他国に類を見ない南国風土に適した独特なもので、琉球で最も面白く伝統的なシーサーである。
シーサーについて
SEASIR
ルーツ
シーサーとは、元々は西域から中国を渡って伝来した獅子像がルーツ。古代オリエントからシルクロードを通ってくるうちに、街道沿いの国々の様々な文化や生活様式などに影響されながら、現実のライオンからは離れた“獅子”へと変容していきます。
もちろん、沖縄にライオンはいませんから当時の人々は伝え聞くその姿を想像し、独自に解釈を加えながら獅子像をつくっていったのです。例えば古い漆喰シーサーには髪が縦にストレートに生えているものが多くあります。あれは“たてがみ”をそのまま表現したものと思われます。当時は“たてがみ”といわれても言葉だけでしか想像できませんから文字通り「縦」の「髪」になったのかもしれませんね。
石獅子と屋根獅子
はるかシルクロードを渡り中国から伝来した獅子は、もともとは城(グスク)や寺社の門前、貴族のお墓、次いで集落の入り口などに設置されるのが一般的でした。集落の入り口に設置されたのがいわゆる「村落獅子」と呼ばれるもので石造の獅子です。他所から入り込む邪悪なもの や火難を防ぐ目的で置かれ、集落全体の守り神として庶民の間にも広く浸透していったものと思われます。ユーモラスなものや勇ましい風貌のもの、獅子の形に似た自然石を置いただけのものなど、様々な表情の石獅子が見られます。
19世紀後半、庶民にも瓦葺きの屋根が許されるようになると共に民家にも屋根獅子が登場します。この屋根獅子にも村落獅子の性格が反映され、風水の考え方や民間信仰などが受け継がれていきます。
ではなぜ獅子が屋根にのぼったのか?実はいまだにはっきりとしたことはわからないらしいのですが、首里城の正殿には獅子面の鬼瓦があり、また厨子甕(骨壺)にも獅子がはりつけられていたり、御殿型の屋根の中央に獅子が配置されていたりします。これらの装飾から屋根獅子の起こりに繋がっていったのではないか?ともいわれています。こうして獅子像は長い年月をかけて様々に形を変えながらも、より庶民の間に親しまれていったのではないでしょうか。
シーサーの姿勢
様々なポーズをしたシーサーがありますが、大きくわけるとだいたい2つのポーズが基本的。おしりを天に上げて前足でまるで這うようにしている姿勢のものをホーヤーシーサー、とかチビタッチューシーサーと呼びます。ちなみに「チビ」とは「おしり」、「タッチュー」とは「立つ」の意味。
壺屋の職人たちの飾らない言葉の表現ですね。ホーヤーとは「這う」。また蹲踞(座っている)姿勢のものを蹲踞シーサー、イチョーレーシーサーなどと呼びます。イチョーシーシーサーとも呼ばれるようです。どちらにしても魔物を威嚇する実に頼もしい姿勢なのですよ。 変わったところでは子連れのシーサーや、立ち姿のもの、軒から腹這いに下をのぞき込んでるシーサーや、壁にふわふわ、浮いているシーサーなどもいます。また、手に玉をもったシーサー。この玉は“宝玉”といい、例えば“愛情”“友情”“信頼”など、存在はしているのに目には見えない宝物を表しています。だからこの玉を大事に守っているんだね。
またシーサーの風貌はいつもニコニコ、というわけにもいきません。何しろ守り神なのですから。かといって、 ただ恐ろしい形相なだけ、というのもちょっと違います。どこか素朴で勇壮な表情、そんなシーサーたちは日々この島や家や人々を守ってくれるのです。
※シーサーの方角「東北に向ければ暴風(颱風)の災いを除ける」「真南に向ければ火難を防ぐ」などといわれ、もっぱら風水の考え方で捉えられます。また、マジムンは道を通ってやってくると考えられているので家に突き当たる道や門に 向けて置かれることも多く、それぞれにムチゼークやフンシー(風水)の想いが反映されています。
魔除け?
シーサーは一般的に守護神としてまた福を呼ぶ縁起物として昔から沖縄では親しまれています。昨今では“魔除け”としてまた可愛い“置物”としても人気があり様々なシーサーが生まれています。しかし沖縄では古来、シーサーは魔物(マジムン)を除けるのではなく浄化する力があるともいわれています。 魔物を除けてしまうと余所へ行ってまた悪さをするので浄化してしまってこの島で皆が一緒に仲良く暮らせばいいさぁ、という考え方なのです。他所から来たものや人との関わりを尊び、混じり合いながら独自の文化に取り入れていく所謂、チャンプルーの文化にも繋がっているようにも思えますね。
これを沖縄の精神性や哲学としてとらえてみるとすごく、楽しく愉快なことなんじゃないかな。 もちろんそれは魔物に決して負けない強靱な力があってこそなんだけど、その力でやり込めない、本物の強さとやさしさがあるっていうこと。
雄と雌
対のシーサーは多くの場合、例えば狛犬や仁王像のように阿吽(あうん)の一対になっているといわれています。阿吽とはインドの古語、サンスクリット語で始まりと終わりをあらわす音のことです。物事のはじまりと終わり、つまり、世界のあらゆることをあらわすと考えられ神様を象徴するとされました。
対のシーサーもそのようにパーフェクトな姿形で災いからわたしたちを守ってくれている、というわけなのです。なので、かならずしも雄雌をあらわしたものではないのです。それでも昨今では、口を開けている方が猛々しい表情からオスだといわれたり、いや口を開けて喧しい表情だから メスだといわれたり、色々な考えがありますね。
また、口を開けた方が魔を取り込んで口を閉じた方がそれを閉じこめているんだとか。時代や文化の影響は今でもしっかりとシーサーに反映されていくものなのかもしれませんね。
漆喰シーサー
屋根獅子にはおもに焼物製と漆喰製があります。漆喰シーサーはずばり、漆喰と赤瓦で作られます。まず赤瓦で体の骨組みをつくり、漆喰で造形していきます。赤瓦は顔や尻尾などにも使われ、漆喰とともに様々な表情を生み出します。
もともとは瓦葺き職人(ムチゼーク)が屋根を葺いた後に余った瓦と漆喰でつくり施主へのお祝いと感謝を込めて贈ったものでした。新しく葺いた瓦が台風でもとばされないように、無事にこの家を守ってくれるように、との願いが込められています。
また台風でも壊れない、上等な屋根を葺く職人をみつけるのにもこのシーサーが目印になります。台風にもびくともしない瓦屋根は職人の腕の良さの証明になります。だから、シーサーには職人の誇りと威信もこめられてるんですね。また、瓦には雄瓦と雌瓦があり、それぞれを上手く組み合わせて葺いていきます。漆喰シーサーもまさに雄瓦と雌瓦との合体によって生まれてくるのです。
琉球漆喰
一般的に漆喰は石灰岩を原料にワラや地灰、海藻糊などを混ぜて作られますが沖縄の漆喰はサンゴから作った石灰にワラや泥などをまぜ、発酵させたもので琉球漆喰と呼ばれます。(昨今ではサンゴ礁保護の観点からも“サンゴ石”とよばれるサンゴの化石、いわゆる“琉球石灰岩”から漆喰をつくります)。
家屋の壁材や屋根の接着剤として使われます。沖縄では「ムチ」とよばれますがこれは触った感触が“ムチムチ”しているから、とか色が白くてまるで餅のように見えるから、など諸説があります。
天才光男(宮城光男)
1976年那覇市生まれ。
幼少の頃より両親から芸術全般に広く影響を受ける。高校・大学でアカデミックな現代アートを学ぶ内に土着の伝統芸術の凄さに衝撃を受け、陶芸・木版・墨絵などの修行を積み、その後漆喰シーサーを軸にして芸術家としての感性と職人の腕の両立を体現すること、「民藝術」を提唱する。以来、精力的に作品を生みだし全国各地はおろか芸術の都フランス・パリにてもシーサー展を開催。2005年には那覇市国際通り側に個人美術館・MITSUOシーサー美術館を開館。2007年、沖縄アートセンター設立に参画。
天才光男の名義は、誰しもが本来もっている天然の才能を「天才」と捉え、その才を自由奔放に表現に向けて解き放つ意味をももっています。また元来、沖縄では「やちむん」や「シーサー」を拵えるときに「つくる」という表現ではなく「生まれる」という言い方をします。
窯焼の火入れの際には供物をそなえ「生まらしみしようれ」-無事に生まれますように-と祈ります。自分の才能をすべて出した上でなお、天からの“祝福”を受けて「生まれてくる」シーサーに敬意をはらう意味での名前でもあります。もうひとつ。宮城光男が初めてフランス・パリで漆喰シーサーの個展を開催したおりに辞書で見つけたGENIUSという単語には“天才”という意味と共に“守護神”という意味がありました。守護神シーサーを生みだす光男、すなわちGENIUS-MITSUO(天才光男)なのです。
歩み
History
主な略歴
平成7年3月 | 沖縄県立開邦高校 芸術科卒業 |
平成7年4月 | 沖縄県読谷にある壺屋焼の窯元に入門(以降、各地にて武者修行する) |
平成11年3月 | 芸術家、故國吉清尚氏の年季窯にて制作活動 |
平成12年4月 | 那覇市文化協会所属 |
京都造形大学 自主卒業 | |
平成12年8月 | 沖縄県立博物館にて「琉球古典漆喰シーサー」の講師を務める(以降、毎年) |
平成13年5月 | 恩納村に「LIGHT MAN'S CLUB GALLERY」オープン 「琉球民藝術会」発足 |
平成13年6月 | 那覇市立壺屋焼物博物館にて「琉球古典漆喰シーサー及び琉球民藝術」の講師 |
平成14年7月 | 恩納村博物館にて「琉球古典漆喰シーサー及び琉球民藝術」の講師(以降、毎年) |
平成15年2月 | 那覇市壺屋に「琉球民藝術館」「ギャラリーMITSUO」オープン |
平成15年4月 | ACO(ART×ECOLOGY)絵本 「とびだせ!シーサーマン」を出版 |
平成17年4月 | 那覇市牧志に「MITSUOシーサー美術館」開館 |
平成25年 | 北米カナダ トロントにて工房アトリエを構え制作・個展活動を始める |
主な活動歴
平成10年4月 | 那覇市立壺屋焼物博物館「うりずんの漆喰シーサー 彫刻展」 |
平成10年10月 | 福岡 沖縄の現代アーティストと人間国宝 金城次郎氏の展覧会に特別出品 |
平成11年3月 | 沖縄三越「シーサーアーティスト 宮城光男展」 |
平成11年8月 | 京都 愛知 福島 「MITSUO EXHIBITION 1999」 |
平成12年1月 | 那覇市立壺屋焼物博物館「宮城光男 LAST CENTURY EXHIBITION」 |
平成12年9月 | 東京 銀座 「TOKYO MITSUO EXHIBITION」 |
平成13年5月 | 沖縄 LIGHT MAN'S CLUB GALLERY 「新世紀の卵展」 |
平成13年11月 | 沖縄 前島アートセンター「琉球ビエンナオーレ」 |
平成15年2月 | 沖縄 ギャラリーMITSUO OPENING展 |
平成15年10月 | 国立民族学博物館~沖縄県立博物館収蔵品展 立体彫刻作品「URUMA」展示 |
平成16年2月 | 沖縄 那覇市立壺屋焼物博物館 「SHOCKING~食器王~展」 |
平成16年6月 | フランス パリにて制作・個展 「天才光男~SI-SA- in PARIS~展」 |
平成16年10月 | 東京・京都・沖縄にて パリ凱旋展「シーサー薔薇王展」 |
平成17年2月 | 「MITSUOシーサー美術館 開館記念展」|.収蔵品展 ||.企画展「若獅子四人展」 |
平成17年6月 | フランス・パリにて個展 「MITSUO SEASIR MUSEE IN PARIS ~GENIUS MITSUO ||~」 |
東京・京都・沖縄にて パリ凱旋展 「沖縄シーサー薔薇王展」 | |
平成17年9月 | 京都 ギャラリー花いろ 「京都で生まれる108体のシーサー」公開制作展 |
平成17年11月 | 京都 安楽寺 「煩悩大爆発展」 |
平成18年2月 | 沖縄 MIX life-styleにて「大便座展」~企画展 |
平成18年4月 | 沖縄 「画真展」海人写真家・古谷千佳子氏とのコラボレーション作品 |
平成18年4月 | 九州国立博物館・開館記念特別展「美のシリーズ」第三弾『うるま ちゅら島 琉球』にて漆喰シーサー展示 |
平成18年11月 | 京都 安楽寺 「八百万(やおよろず)シーサー展」にて800体の漆喰シーサーを制作展示。同時開催ギャラリー花いろ |
平成18年11月 | 栃木 益子の益子焼窯元・つかもとにて 「琉球益子焼シーサー展」益子焼のシーサー、器を制作展示 |
平成19年1月 | 平成18年度経済産業省委託事業「地域自律・民間活用型キャリア教育プロジェクト」~俺たちシーサーマン展~ |
平成19年3月 | 岡山 アートガーデンにて 「シーサー備前焼~魂を焼締めろ展」備前焼のシーサー、陶芸を制作展示。 |
備前焼陶芸家・脇本博之氏、写真家・古谷千佳子氏と共催 | |
平成19年10月 | 沖縄那覇 「沖縄アートセンター」設立に参画。「琉球ルネサンス展」出展。 |
平成20年2月 | 東京 南青山 ART GALLERY'D'にて個展「新世紀の卵展~沖縄シーサー厨子甕~」 |
平成20年10月 | 沖縄浦添市 沖縄アートフェスティバル(企画:日比野克彦/沖縄アートセンター)参画 浦添市美術館にて作品展示等 |
平成20年10月 | 沖縄那覇 那覇市立壺屋焼物博物館 個展「黄金のシーサー展」開催 |
平成20年10月 | 沖縄那覇 MITSUOシーサー美術館 個展「シーサーガンマンズ展」開催 musicCD同時発表 |
平成21年4月 | 沖縄那覇 沖縄県立博物館美術館県民ギャラリー1にて 第11回シーサーの日展「シーサーアリガトォー!」天才光男シーサー博覧会 |
平成21年7月 | 鹿児島種子島 「時の芸術祭」参加。(AD.日比野克彦氏) |
平成21年10月 | 福島 ギャラリー観(民藝サトウ)「佐藤時計展」出品 |
平成21年12月 | 福島郡山 ギャラリー觀(民藝サトウ)企画展「楽しいお正月展」出品 |
平成25年 | 世界遺産 熊野速玉大社八咫烏シーサー奉納(和歌山) |
平成30年 | サミット会場・万国津梁館 大シーサーと龍柱 建立 |
令和3年 | 壺屋シーサー神社建立 |
主な受賞歴
平成11年1月 | 「沖展」入選(工芸部門) |
平成11年2月 | 「沖縄県工芸展」3作品入選(デザイン部門) |
平成13年9月 | 「沖縄県芸術祭」入選(絵画部門) |
平成14年1月 | 「あけみお展」入選(絵画部門) |
平成14年9月 | 「沖縄県芸術祭」入選(絵画部門) |
平成15年5月 | 「創型展」2作品入選(彫刻部門) |
平成15年9月 | 「沖縄県芸術祭」2作品入選(彫刻・絵画部門) |
平成15年11月 | 「第3回武井武雄記念 日本童画大賞 イルフビエンナーレ」入選 |
平成16年1月 | 「沖展」入選(デザイン部門/『とびだせシーサーマン』原画) |
平成27年 | 青年版国民栄誉賞「人間力大賞」「環境大臣賞」受賞 |
令和2年 | 首里城福光シーサー「那覇市長賞」受賞 |
メディア
Media/TV
2005.8 | NHK『おしゃれ工房』---守り神の獅子・シーサーを作る--- |
2006.2 | TBS『Lの風景』 |
2007.1 | 旅チャンネル『沖縄・二泊三日で600年の歴史をたどる』 |
2007.12 | TBS「王様のブランチ」 |
2007.8 | ベネッセチャンネル~自然と人が共に生きる楽園へ~ゴンチチin沖縄~ |
2007.11 | OTV「琉球かすたむん」 |
2009.8 | KTV「にじいろジーン」 |
2010.1 | TX『シロウト名鑑』タイトルロゴデザイン |
Magazine/journal
2006 | 沖縄市場vol.14 |
2007 | GAFF The Damage Zone(林檎プロモーション) |
2007 | BB COM (text:古谷千佳子design:天才光男) |
2008 | 月刊hands |
2008.3 | うるま No.120 |
2008.7 | 観光PlusB! |
2009.5 | 女性自身2398号 |
2009.7 | 女性自身2406号 |
2010.2 | 風とロック『月刊 風とロック2月号』ノラネコロックイラスト |
2009.1 | 沖縄タイムス新年特集号 |
etc. |
other
2010.2 | サンボマスター『できっこないをやらなくちゃ』シングルCDジャケットイラスト |
etc. |